旧身体美学ブログ アーカイブFhysical Aesthetics

2006年2月

ライブドア幻想2 2月1日

「3年で世界一」が三週間で奈落

逮捕後に昨年末のライブドアの忘年会の映像を見た。
「3年で世界一」と目標をぶち上げていたことを知った。
IT産業では確かにgoogleのように劇的な急成長がありうる。
だがgoogleは独自の先進技術を持っていた。

対してライブドアは既存の技術を利用しているだけ。
そこからどうして世界一なんて発想が出てくるのか。
現実が見えているとはとても思えない。

今トヨタは本物の世界一が射程距離に入っている。
しかし同社が世界に目標を定めたのは四半世紀以上昔の話。
それも世界一ではなく、「目標はGM」だった。

GM(世界一の自動車メーカー)を超えるとは言っていない。
世界への道のりがいかに厳しく長いものか知っていた。
同社は敵も自分もよく見ていた、見えていた。
だからこそ目標が実現しつつあるのだろう。

といって筆者はライブドアを今さら糾弾する気はない。
それより彼らには上記のような危うさが前からあったはず。
なぜ逮捕されないのか、と疑問に思う人もいたようだ。
(筆者は興味がなかったのでそこまで深く知らなかった。)

だが実態が見えない人たちの方がはるかに多かった。
同社を支えたのはある意味そういう人たちである。
持ち上げたマスコミも同罪だし、株主も被害者とは言えない。
むしろ同社の暴走を最もあと押ししたのかも知れない。

同社は人々の期待に応えるために暴走した?。
そんな逆説も成り立つのかも。
急成長しなければ道を踏み外さなかったのではないか。
地道にやっていれば優良企業になった可能性だってある。

過去を見ても同じような例がいくらでもある。
違いはIT産業という舞台が新しかっただけ。
新しい舞台装置が幻想をいっそうかきたてた。
技術が進歩しても人間はまったく変わっていない。

ライブドア幻想3 2月3日

バブルのとき、一億総不動産屋ともいわれた。
土地や株による金儲けに多くの人が狂奔した。
だがバブルはけっして特異な社会現象ではない。

ただ世界有数の経済大国で大規模に起きた。
強いて言うならその規模の巨大さが特異だった。
ミニバブルなら経済社会には普遍的に見られる。

巨大バブルで日本経済は深い傷を負った。
だが後遺症に苦しむさなかでもITバブルが起きる。
ただ限定的だから傷も小さい。
そのかわり形を少し変えてくり返し起きる。

かつてのバブルとの違いは土地がITに変わっただけ。
IT業界にはチャンスが、未来があると。
バブルの教訓など欲望にかき消されてしまう。

ライブドアもその現象の一つに過ぎない。
ただ規模が大きく目立ったので象徴的存在になった。
本質は土地バブルと何も変わらない。

バブルのときあぶく銭を手にした人たちが何をしたか。
社会福祉や自然保護に貢献しようとしただろうか。
自然破壊には加担してもまずそんなことは考えない。
高級車やブランド品を買い、享楽に費やしたのでは。

ヒルズ族になってリッチな生活。
土地成金と何がどれほど違うのか。
ましてやヒーローと錯覚するなど・。

バブルや拝金主義は経済社会の必然と考えるべきだ。
これだけ普遍的にくり返されるのだから。
欲望は誰にも止められないとしか言いようがない。

ライブドアも当然社会が生んだものである。
社会にはその予備軍があふれている。
彼らだけを悪者にしても意味がない。
今後も形を変えて同じことがくり返されるだろう。

消えるアイボ 2月7日

ソニーは犬型ロボット、アイボの生産を三月で終了する。
ロボット事業そのものもやめるようだ。
この結末は実は筆者の予想通り。

当初は予想以上の売れ行きでブームの雰囲気があった。
だがはかないブームで終わると感じていた。
ゴミ置き場に捨てられているアイボが頭に浮かんだ。

第一の理由は人工物が本物の命と同じになる訳がない。
本物のように面倒見る負担がない?。
面倒見ることで自分が癒されるということが多々ある。

それを省略して享受できる癒しなどあるのか。
しかもけっこう値段が高い。
処分される犬猫を引き取れば、金なんかかからない。

本物を飼うのが負担なら金を寄付した方が有意義では。
自費で保護活動している人たちがいることだし。
(保護活動は豊かな先進国にしては非常にお粗末だ。)

開発した人たちは本物と絆を持った体験があるのだろうか。
ペットがいても本当の絆ができていない人も多い。
> 一応終世面倒見る人でも深い絆があるとは限らない。

といって開発した人たちを批判しているのではない。
動物を知らないと断定している訳ではない。
その技術は別なことで役に立つ可能性も大きい。

大女優とフェラーリ 2月12日

イタリアの面目躍如

なんのことかと言えばトリノ五輪開会式。
一番印象に残ったパフォーマンスだ。
フェラーリのF1マシンの轟音、迫力は強烈。
ステージ上だけに斬新で効果的な演出だった。

大女優はもちろんソフィア・ローレン。
シドニー五輪ではオリビア・ニュートンジョンが美を見せた。
ローレンはオリビアとは世代がかなり違う。
何しろM・モンローやA・ヘプバーンと同じ時代。

しかし彼女の姿勢美、歩く姿は見事だった。
肉体美と姿勢美が一体であることを改めてみせた。
年齢を考えると本当に驚きだ。

彼女と似た印象をロゲ会長にも改めて感じた。
会長はシラク仏大統領とおおむね同水準。
つまり最高水準。表情も立ち姿も。
同会長は著名な医師であり、4〜5カ国語が話せるという。

トリノはイタリアの、欧州の底力を見せる場となった。
五輪は欧州が支配しているが。
中国も北京での演出を勉強しているはず。

だがフェラーリと大女優の演出は真似できないであろう。
見せられてプレッシャーを感じているかも知れない。
いっそのこと、派手になりすぎた演出を地味にしたらどうか。
なまじ欧米に対抗しようなんて考えると墓穴を掘るかも。

日本も立候補するならそこまで考えないといけない。
文化は一朝一夕では育たないのだから。

一夫多妻は犯罪? 2月16日

現実にそぐわない?倫理観

>

多くの女性と同居生活していた男が逮捕され話題になっている。
当局やマスコミは犯罪性を暴くことに必死だ。
単純な監禁事件ではなく、複雑な背景があるからだ。

それでも男は悪漢に違いないという見方が支配的。
一夫多妻は倫理的に悪だという常識があるからではないか。
だがこの常識はキリスト教的、西洋的倫理観からきている。
いいかえるなら近代文明的理想論が根拠。

元々一夫多妻は世界の多くの文化に見られる。
普遍的だということは必然性があるからであろう。
生物学的に見ても一夫多妻を認める方が自然だと考えられる。

何よりも一夫一婦制が人を幸せにしているとは言いがたい。
推進してきた欧米社会の離婚率の高さなど皮肉な限り。
離婚しない場合でもうまくいっているとは限らない。

米国にこんな事例がある。
男は各地を転々とし、各地で違う女性と結婚していた。
しかも誰とも離婚していないので重婚を重ねた訳だ。
やがて問題が発覚、男は逮捕された。

興味深いのは被害者?である女性たちの反応。
騙されたと怒っているかと思いきやまったく反対。
どの女性も男を賞賛していたという。
「人間的に素晴らしい人だった。今でも愛している。」

つまり男は結婚詐欺師などではなく、女性に誠実だったようだ。
一夫多妻が認められる社会なら彼は複数の女性を幸せにできたはず。

単純に考えてもすべての女性が最高な男を選択できる訳がない。
一夫多妻も認めれば薄幸な女性が減る一方で、子供は逆に増える。
究極の少子化対策かも知れない。

くり返す?ITバブル 2月21日

ライブドアの虚業ぶりが続々と暴かれている。
こうなると同社だけの問題ではない。
同社および堀江氏をもてはやした社会にも責任がある。

首相を初め社会が虚業家を見抜けなかったのだ。
変革者?天才?ヒーロー?織田信長?。
今思えばバカな限り。

確かに天才は自ら墓穴を掘ることが多い。
だが本物の天才、信長は多くの窮地を乗り越えている。
本物ならこんなに早く墓穴を掘る訳がない。

ライブドアもITバブルの一種である。
ただ本質はITを利用したマネーゲームに過ぎないが。
IT企業だったことが目新しいだけで本質は古い。

IT企業であることが威力を発揮したのも間違いない。
つまりITを標榜すれば社会を簡単にだませる?。
社会を変革する先端産業のイメージからか。

しかしITは魔法でもなんでもない。
だが魔法にしようとしている人々が群がっている。
IT起業してヒルズ族、という夢を見て。

その象徴だったライブドアの実体が暴かれた。
だがITを舞台としたミニバブルはこれで終わりではない。
成功例が一つ生まれれば雨後のタケノコのように発生する。

厳密にいえばITに限らずバブルはくり返されている。
バブルの原動力はもちろん欲望。
つまり人の欲望は誰にも止められない。

例外?荒川静香 2月24日

トリノで日本は惨敗を重ねるまま終わりかけていた。
だが荒川選手の優勝はアジア初、有色人種初という快挙。
これまでの流れとは実に劇的な落差、正反対の結末。
それだけに意外に感じた人も多いのでは。

優勝候補二人は自滅した。荒川選手は幸運だった?。
いやライバルのミスは荒川選手の影響かも知れない。
彼女の好調、充実はライバルも感じていただろう。
それがプレッシャーを与えた可能性は高い。

ただ彼女はこの競技ではもう若くない。
しかも前回の世界選手権優勝まで大きな実績はなかった。
大器晩成型の彼女は選手のピークが今大会と重なった。
ライバルたちは彼女の存在感を肌で感じていたであろう。

実力もないのに大言壮語して惨敗していく日本選手たち。
その中にあって彼女はまったく正反対。
無言で存在感を発散。期待が集中する中で実力を発揮。
優勝後も彼女らしい?、大人ぶりを発揮していた。

当人も自分を過信せず、勝てるとは思っていなかったと言う。
まさに世界を知り、自分を知っていたからであろう。
もっともこちらも日本人が主役なることが信じがたい。
ずっと惨敗ばかり見せられていただけに。

盛り下がる?五輪 2月26日

世界の関心が低く、盛り上がりに欠ける?トリノ五輪。
という情報、意見、風評を何度も見聞きした。
だがこの見方には根本的な勘違いがある。

おそらく夏季五輪と比較しての話だろう。
元々五輪大会は一つ、冬季もいわば夏季の一部。
だからつい最近まで同年開催だった。
競技の性質上、場所と季節が違うに過ぎない。

今は巨大化に従い、独立性を高めただけ。
元々冬季の競技はできる国、地域が限られる。
寒い地域の先進国であることが二大条件。
雪山や大がかりな設備、高価な道具を必要とするからだ。

つまり本質的にマイナーな競技で構成された大会。
元々夏季の付録ていどの日陰の存在。
巨大化したと言っても依然夏季には遠く及ばない。
夏季と比較したら関心が低くて当たり前。

競技と縁のない南国の人々は開催も知らないのでは。
比較すること自体、的違いなのだ。
冬季だけで見ればトリノは史上最も世界の関心を集めた大会。
確実に前回より参加国、種目数が増えているのだから。

ただ五輪である以上、夏季と同じ意義を持つ。
関心が低くても自国の選手が活躍すればたちまち熱狂する。
競技がよく分からなくても関係なく。例えばカーリングが好例。

女子が健闘するとたちまち関心が高まった。
もし五輪での健闘がなければ誰も関心を持たない競技だ。
どんな関心が低い国でもヒーローが出現すれば一転する。

日本でも荒川選手が優勝するとムードが一変した。
欧米ではアイスホッケーの人気が高いが日本では低い。
日本は出場していないからだ。

伝統ある競技では質の高い競技も多い。
知らないということは世界を知らないに等しい。